東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3227号 判決 1963年7月05日
判 決
東京都新宿区柏木一町目一一九番地
原告
木下淳子
右訴訟代理人弁護士
大久保
青柳健三
同都中央区湊町二丁目五番地
被告
鈴木作太
(ほか四名)
右五名訴訟代理人弁護士
新庄初一
東京都千代田区麹町三丁目六番地の一
ズノー光学工業株式会社破産管財人
被告
松尾菊太郎
右訴訟代理人弁護士
金子正康
右当事者間の昭和三二年(ワ)第三、二二七号損害賠償請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告らは、各自原告に対し、一五、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和二九年五月一日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、原告は、訴外帝国光学工業株式会社(以下、単に帝国光学という。)が昭和二九年五月一日新株を発行した以前より同会社の一〇〇、〇〇〇株の株主である。
二、右帝国光学は、各種光学機械及び写真に関する材料、化学薬品の製造販売並びに輸出入の業務を営むことを目的として、昭和二六年四月三〇日設立された株式会社であり、昭和二九年一月二一日現在における帝国光学の資本の額は二〇、〇〇〇、〇〇〇円、発行する株式の総数は八〇〇、〇〇〇株、発行済株式数は四〇〇、〇〇〇株であつた。なお、帝国光学は、昭和三〇年一一月二一日、商号をズノー光学工業株式会社と変更した。
三、被告松尾菊太郎を除く被告鈴木作太、同浜野道三郎、同佐伯清之助、同小島正二及び同小畑忠良(右五名を、以下、単に被告ら五名という。)は、昭和二九年一月二一日以前から引続き帝国光学の取締役に在任、そのうち被告鈴木作太は代表取締役の職にあつたが、昭和二八年秋頃、帝国光学の役員によつて発明されたF一・一の明るさを有するズノーというレンズの製造に乗り出すための設備資金調達の必要上、被告ら五名は通謀して、昭和二九年五月一日、発行価額及び額面価額ともに一株五〇円とする新株式四〇〇、〇〇〇株を発行して資本の額を四〇、〇〇〇、〇〇〇円に増額し、右四〇〇、〇〇〇株のうち一三一、三〇〇株を被告鈴木作太に、四〇、〇〇〇株を被告浜野道三郎に、各二〇、〇〇〇株宛を訴外浜野市及び同大塚憲一に、一〇、〇〇〇株を訴外矢沢清に、八、七〇〇株を訴外磯井時男に、七〇、〇〇〇株を訴外日産証券株式会社に、各五〇、〇〇〇株宛を訴外蒲生証券株式会社及び同株式会社E、S、B商会に割当て、同人らをして合計四〇〇、〇〇〇株の帝国光学の株式を取得させた。
四、しかるに、(1)帝国光学の定款第七条によれば、「当会社の株主は新株引受権を有する。但し取締役会の決議をもつて新株引受権の一部又は全部を制限することができる。」との規定があるが、右但書の規定は法令に違反し無効である。(2)仮に、右定款但書の規定が無効でないとしても、帝国光学は、昭和二九年四月二一日、取締役会を開催したものとし、被告鈴木作太、同浜野道三郎、同佐伯清之助及び同小島正二の四名が出席し、一株の金額を五〇円とし、額面価額をもつて記名式普通株式四〇〇、〇〇〇株を発行する。払込期日を同年五月一日とする。割当方法は前記被告鈴木作太他八名に対し、四〇〇、〇〇〇株の株式を前記のとおり割当てる旨の決議がされたことになつているが、帝国光学において、右取締役が開催されたことはないし、仮に然らずとするも、右取締役を開催するにつき、各取締役に対し招集通知が発せられたことはなく、又、招集通知を発しないことにつき、取締役全員の同意を得たこともなく、当時、帝国光学の取締役は被告ら五名のほか訴外佐伯貞次郎、同武内裕之、同梅田敏次の八名であつたから、四名のみの出席では過半数に達せず、右取締役会の決議は無効であり、被告ら五名は共同して、原告の有する具体的新株引受権を侵害したものである。
しかして、本件新株発行当時の新株式の時価は一株二〇〇円を越えていたから、株主平等の原則に基き各持主に対し、その有する持株数に応じて割当てたとすれば、原告は、五〇円払込むことにより、二〇〇円の価値ある株式を得られたにもかかわらず、本件新株発行により原告の新株引受権を消滅させてその実効を収めることを不可能にし、これがため、原告に対し、少くとも一株につき一五〇円合計一五、〇〇〇、〇〇〇円の損害を蒙らせた。
五、仮に、原告は新株引受権を有しなかつたとしても、被告ら五名のした本件新株四〇〇、〇〇〇株の発行により、被告ら五名は、原告の有する一〇〇、〇〇〇株の株主権を侵害したものである。
本件新株発行当時、帝国光学は、F一・一のズノーレンズの製造販売をすることに大きな希望がもたれており、このことが世上に伝わるや、業界に相当の反響を呼び、帝国光学は一躍業界の注目の存在となり、その結果、帝国光学の株式の時価は、昭和二九年六月九日から同年一〇月末日までの期間をとつてみても、一株一五八円から二三〇円となつた。右期間における新株の時価が仮に平均二〇〇円を示したとすると、右期間内に株式の時価に影響を生ずる新たな特段の原因のない限り、右株価は既に新株式発行前の原因によつて形成されたものというべきで、新株の時価二〇〇円のうち額面額五〇円を差引いた一五〇円に相当する価額は新株発行前は旧株に賦存していたもの、すなわち、新株式の価額を形成する原因は旧株式の価額にも現われていたものである。しかして、新株権利落の一株の価額は一般に次の方式により算出される。すなわち、
今これを本件について算出すれば、権利落株価は二〇〇円であり、新株割当数は旧株一株につき一株であり、新株一株の払込金は五〇円であるから、権利付一株の株式の時価は三五〇円となる。すなわち、増資後の帝国光学の株価が、二〇〇円とすれば、増資前の株価は三五〇円であつたのである。しかるに、被告ら五名は帝国光学の将来性が有望視せられる情況となり、株価も昂騰した時において発行価額を五〇円とする新株を発行し、これを合理的理由もなくその親戚その他勝手に選んだ特定の者のみに割当てた結果、旧株主であつて新株の割当を受けえなかつた原告は、旧株に賦存していた一株当り一五〇円の価値を失つたもので、被告ら五名は、原告に対し一五、〇〇〇 〇〇〇円の損害を蒙らせたものである。
六、しかして、被告ら五名のした本件新株の発行は、同被告らが帝国光学の取締役としてその職務を行うにつき悪意又は重大な過失があつたものであり、これがため原告に前記損害を蒙らせたものであるから、商法第二六六条ノ三第一項の規定により被告ら五名は原告に対し連帯して前記損害金支払いの義務があり、帝国光学は被告鈴木作太が同会社の代表取締役としてその職務を行うにつき原告の前記権利を侵害することを知り、または、知り得たにかかわらず過失によりこれを知らないで損害を蒙らせたものであるから 同法第二六一条第三項 第七八条第二項、民法第四四条第一項により、原告に対しこれが損害の賠償をすべきであるが 同会社(ただし商号変更によりズノー光学工業株式会社となる。)は昭和三六年四月一四日東京地方裁判所において破産の宣告を受け、同日、被告松尾菊太郎が破産管財人に選任されたから、同被告はズノー光学工業株式会社の右債務につきこれが支払い義務がある。よつて、原告は被告ら六名に対し、各一五、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する不法行為の後である昭和二九年五月一日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払らいを求めるめ、本訴請求に及ぶ、と述べ、
被告らの抗弁事実を否認し、
立証<省略>
被告ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因第一項から第三項の事実、第四項の事実中、原告主張の帝国光学の定款の規定が存すること、第五項の事実中、原告主張の頃、帝国光学の株式の時価が昂騰したこと、および第六項の事実中、ズノー光学工業株式会社が原告主張の日破産の宣告を受け、被告松島菊太郎がその破産管財人に選任されたことは、いずれも認めるが、その余は否認する。
F一・一のズノーレンズは、昭和一八年頃から、被告鈴木作太がみずから研究所を設置し、被告浜野道三郎とともに共同研究してきたものであり、昭和二八年五月頃その試作に成功したので、被告鈴木作太はこれが工業化を図つていたところ、たまたま、知人の紹介により被告佐伯清之助を知るに及んで、同被告が従来経営してきた寿興業株式会社を承継して新発足することとし、同年六月一日商号を帝国光学工業株式会社と変更するとともに、役員を改選し、右発足にあたつては、被告佐伯清之助と右レンズの特許権者である被告鈴木作太との間に、(イ)資本の額は取敢えず一〇、〇〇〇、〇〇〇円とし、これを右両名において折半出資する。(ロ)帝国光学は経理の許す範囲において特許権の使用料として各期毎に総売上げの一割を被告鈴木作太に支払う。(ハ)帝国光学は右特許料の前払いとして可及的速かに一〇、〇〇〇、〇〇〇円を被告鈴木作太に支払う。(ニ)被告鈴木作太に対し資本の額四〇、〇〇〇、〇〇〇円に達するまではその半額相当の株式の引受権を認める。旨の覚書を取交わし、同年七月一〇日の帝国光学の臨時株主総会において右覚書が承認可決され、かくて、昭和二九年二月三日の取締会において、新株四〇〇、〇〇〇株を発行するとともに、被告鈴木作太に対し右新株の引受権を認める旨の決議をし、その具体的取極めとして同年四月二一日の取締会において本件新株発行が決議されたのであり、しかも被告鈴木作太は一〇数年間個人としてF一・一のレンズの研究に莫大な費用を投じ、漸く完成した右世界的発明品を前記のようないわゆる出世払式の約定により帝国光学に提供したもので、同会社としてはこれに報ゆる意味においても資本の額が四〇、〇〇〇、〇〇〇円に達するまではその半額の新株引受権を被告鈴木作太に与えたもので、これはむしろ当然の措置であつたのである。
なお、本件新株発行後、帝国光学の株価が高値を呼んだことがあるが、右株式は上場株でも店頭株でもなく、それは被告鈴木作太が本件新株の割当を受けるや、右株式払込金の準備がなかつたので、訴外蒲生証券株式会社から融資を受けて右株式の払込をするとともに、右株式の処分を右蒲生証券株式会社に依頼したところ、利殖に厚い蒲生証券株式会社は、これを利用して一儲けしようと画策し、帝国光学のレンズが当時世界一明るいレンズであると騒がれたのを奇貨として、その手持株を青空市場で煽つた結果形成された闇相場であつて、新株式の時価は帝国光学の経営内容、資産内容等よりおのずから形成されたものではなく、又、帝国光学は赤字経営で多額の債務を負つており、本件新株発行前の株式に原告主張のような価値が賦存していたものではない、と述べ、
抗弁として、
一、帝国光学はもともと市井の名もない一レンズ工場であつて、株式を一般に公募することなど考えも及ばない状態であり、しかも、製品が未完成のため金銭の借入も出来ず、経営の衝にあたつた被告鈴木作太、同佐伯清之助は知人をたより協力を求めていたが、たまたま原告の夫である訴外荘碧山の援助を得ることとなり、同訴外人から五、〇〇〇、〇〇〇円の出資を得て、昭和二八年一一月資本の額を一〇、〇〇〇、〇〇〇円から一五、〇〇〇、〇〇〇円に増額し その増資新株はすべて同訴外人の希望により原告名義とした。その後さらに帝国光学は増資の必要に迫られ、昭和二九年一月二〇日数名の株主を募り五、〇〇〇、〇〇〇円の増資を行い、漸く資本の額を二〇、〇〇〇、〇〇〇円としたが、帝国光学としては、さらに新規の株主を募ることは不可能の状態であつた。しかも、帝国光学は昭和二九年一月から同年四月までの間三回にわたり訴外荘碧山より合計三、五〇〇、〇〇〇円の借入をしたが、これ以上長期の資金の借入が許されず、いよいよ製品が完成し、売上開始を目前に控えさらに大幅の増資の必要に迫られ、本件新株の発行を決議するに至つたが、当時としては非常な冒険であり、これを株主に割当てることは危険であつたため、被告鈴木作太にその責任を負わすこととしたものであるが、訴外荘碧山は本件新株の発行につきこれを承認し、その代償として帝国光学の経営に参加することを要求し、その結果、原告の父である訴外木下俊熙を同年五月の株主総会において監査役に選任した。右の事情により、原告は本件新株の割当方法については当初より賛同していたもので、株主権に基く請求はこれを放棄していたものである。
二、前記のように、原告は本件新株の発行につき、その間の事情を知悉していたのであるから、仮に本件新株発行に著るしく不公正な点があるとするならば、事前に新株発行の差止の措置に出ることができたものであり、仮に、本訴請求が認められるとするならば、多数株主中独り原告のみが利得することとなり、株主平等の原則に反することとなり、原告の本訴請求は到底正当な権利の行使とは認められず、株主権の乱用である、と述べ、
立証<省略>
理由
一、訴外帝国光学工業株式会社が各種光学機械の製造販売等を目的とする株式会社であること、昭和二九年一月二一日現在における帝国光学の資本の額が二〇、〇〇〇、〇〇〇円、発行する株式の総数八〇〇、〇〇〇株、発行済株式数四〇〇、〇〇〇株であり、被告松尾菊太郎を除く被告ら五名が本件新株発行当時取締役に在任し、そのうち被告鈴木作太が代表取締役の職にあつたこと、被告ら五名はF一・一の明るさのズノーというレンズの製造に乗り出すための設備資金調達の必要上、昭和二九年五月一日、発行価額額面価額ともに一株五〇円とする新株四〇〇、〇〇〇株を発行し、これを原告主張の被告鈴木作太、同浜野道三郎ほか訴外浜野市、同大塚憲一、同矢沢清、同磯井時男、同日産証券株式会社、同蒲生証券株式会社および同株式会社E、S、B商会の九名に原告主張の数の新株を割当てたこと、原告は本件新株発行当時帝国光学の一〇〇、〇〇〇株の株主であつたこと、帝国光学の定款第七条は、「当会社の株主は新株引受権を有する。但し取締役の決議をもつて新株引受権の一部又は全部を制限することができる。」と規定していること、原告主張の日、帝国光学は、その商号をズノー光学工業株式会社と変更したこと、およびズノー光学工業株式会社は、昭和三六年四月一四日、破産の宣告を受け、被告松尾菊太郎が同会社の破産管財人に選任されたことは、当事者間に争いがない。
二、原告は本件新株の発行により原告の新株引受権が侵害されたと主張し、その理由として、
(1) まず、帝国光学の定款第七条但書の規定は無効であると主張する。
そこで考えるに、昭和三〇年法律第二八号による改正前の商法第一六六条第一項第五号は株主に新株引受権があるかどうかを定款上定むべきものと規定していたが、これを定めるにつき帝国光学の定款第七条のごとき規定を設けることが許されるかが争われた。すなわち、かかる定め方は株主に新株引受権があるかどうかを疑わしめ、法が特にその有無を定款上明確にすべきものとした趣意を没却するというのである。しかし、同条は当然に株主に新株引受権があるとは規定していない。このことは同条のほか同じ改正前の商法第三四七条および第二八〇条ノ四の文理上明らかなだけでなく、その立法の経緯に照らし疑を容れないところである。それ故に、会社は定款において、株主に新株引受権を与えないものと定めることができることはもちろん、原則としてこれを与えるが一定の条件の下にこれを剥奪しうることとすることもその自由であるといなければならない。けだし、株主に当然に新株引受権があるとされない以上、これを付与されるのはいわば恩恵的のものであり、これに条件が付されたからといつて株主としてその権利を侵害されたものというをえないからである。ところで、株主に新株引受権を与えながら取締役会の決議をもつてその全部または一部を剥奪しうるとする定めは、株主に一面において好餌を与えるかのごとく装いながら他面において取締役会のみの決議により安易にこれを剥奪しうる利具を留保し株主を欺瞞するものとみえないこともない。しかし、会社の意思決定機関たる取締役会においてその剥奪を決定するものとすることは、新株の発行が一の業務執行に準ずるものとされていることから必ずしも不当とはいえず、法律上当然に新株引受権を有するものでない株主としては、かかる定款の存する会社の株式としてこれを取得するものというべきであるから、かかる規定の存することにより株主が欺瞞されるものということはできない。
思うに、わが国における経済の実情は、株式は当然に新株引受権を内包するという観念を基礎としており、会社はほとんど例外なく株主に新株引受権を与え、ただ、場合によりその全部または一部を制限することができるものとしている。証券取引所における株式の価額が権利含みと権利落とによつて大きい差異があるのは、このことを示すものであり、昭和二五年の商法改正にあたり、株主に原則として新株引受権を付与すべきであるとする論が有力に主張されたのもこのためにほかならない。しかし、立法の現実はこの考え方を排し、株主に新株引受権を与えるかどうかは、もつぱらこれを会社の自由意思にかからしめ、昭和三〇年の商法改正においてさらにその思想が徹底するにいたつた。法のこの動向は必ずしもわが国の実情に即せず、いわば経済の現実に先駆しているといえないことはないが、それにしても法の意図は株主に当然には新株引受権を与えない点において一貫するものがあるといわなければならず、この趣旨からいつても帝国光学の定款第七条の規定をもつて無効と解すべきでないと考える。
以上によつて原告の本主張は採用しない。
(2) 次に、原告は帝国光学の昭和二九年四月二一日の取締役会は開催されず、開催されたとしても各取締役にその招集通知がなく、取締役八名のうち四名のみの出席によつて決議されたと主張する。
(証拠―省略)によれば、帝国光学は昭和二九年四月二一日取締役会を開催し、取締役七名中四名の出席があるとして原告主張のごとき方法による新株発行の決議をしたことが認められる。(証拠―省略)中には右の取締役会は存在しない旨の記載および供述があるけれども、その記載および供述は信用しない。しかし、(証拠―省略)によれば、当時の帝国光学の取締役は八名であつて七名ではないことが認められるから、右の取締役会は過半数に満たない取締役の出席によつて開催されたものというのほかなく、その、決議はその効力を生じなかつたものと認めざるをえないものである。
しかし、翻つて(証拠―省略)並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、そもそも帝国光学が発足した経緯は被告鈴木作太らの発明にかかるズノー・レンズ製造の事業を営むためであつて、同会社はいわば同被告の個人会社であり、したがつて、その株式の発行についても、特異の経過を辿つたものであることが認められる。すなわち、
被告鈴木作太は昭和一八年頃から被告浜野道三郎とともにズノー・レンズの研究に従事し、幾多苦難の末昭和二八年五日頃漸くF一・一のレンズの試作に成功したので、その工業化をはかろうとしていたが、たまたま知人の紹介により被告佐伯清之助を知るにおよんで同被告の経営していた会社を承継することとし、その商号を帝国光学と改めるとともに同被告との間に、(イ)帝国光学の資本金を取りあえず一〇、〇〇〇、〇〇〇円とし、これを右被告両名において折半する、(ロ)帝国光学は経理の許す範囲で右レンズの特許権の使用料として各決算期ごとに総売上の一割を被告鈴木作太に支払う、(ハ)同被告に対し資本金四〇、〇〇〇、〇〇〇円に達するまではその半額相当の株式引受権を認める旨の覚書を取り交わした。この覚書は昭和二八年七月一〇日の株主総会において全株主の一致で承認されたが、会社はその後業績が上らないため右覚書の趣旨を実行に移すことができず、被告鈴木作太に対して一文の特許使用料をも支払わないのはもちろん、事業資金入手のため新株を発行するにあたつても他に投資先を求めてこれに一括してその引受をしてもらわざるをえなかつた。原告が会社の新株一〇〇、〇〇〇株を引き受けたのも、右の事情によるものである。
帝国光学はその後も業績が好転せず、昭和二九年にいたりさらに増資して資金の導入をはかろうとしたが、新たな投資家を求めることも困難であり、かたがた前叙のとおり会社は被告鈴木作太の個人会社であつて同被告に四〇、〇〇〇、〇〇〇円の資本額に達するまではその半額の新株引受権を与えている事情もあるので、同被告に投資先を物色してもらう趣旨において昭和二九年二月三日取締役会において新たに四〇〇、〇〇〇株の新株を発行するとともにその引受権を一括して同被告に与える旨を決議し、さらにその具体的方策として、取締役会は同年四月二一日上記のごとく原告主張の八名に対しそれぞれその主張のとおりの新株を割り当てる旨決議し、この決議にもとずき本件の新株が発行されたものである。
右に明らかなように、帝国光学が本件の新株を発行するにあたつては、取締役会は当初その引受権を被告鈴木作太一名のみに与え、その後これを変更して原告主張の八名にこれを与えた。そして、本件の新株はこの変更された決議にもとづいて発行されたものであるから、その変更決議が前叙のように成立しなかつた以上、他の判断を待つまでもなくその発行は違法であるようにみえないことはない。しかし、右に判示したように、変更決議により新株引受権を原告主張の八名に与えたのは、さきの決議によりこれを被告鈴木作太一名に与えたことの具体的実現方法にほかならない。すなわち、取締役会は同被告の努力により具体的に投資先を見出しえたため、同被告に与えることとした新株引受権の一部を直接右の投資家に与えることとしたものと察せられる。けだし、もともと、被告鈴木作太が新株引受権を取得したのも、これを利用して投資先を獲得しようとしたためであつて(法律的には同被告が投資家から新株払込金の提供を受けてこれを払い込み、新株発行後これを譲渡することとなるであろう)、すでに投資家が現われた以上かかる迂遠な方法をとる必要もなかつたからである(この関係は上記の証拠上十分に窺いえられる)。それ故に、後の決議もさきの決議も実質上は同一であり、後の決議にもとづく新株の発行はさきの決議にもとづくものと解して支障がない。ところで、さきの決議は昭和二九年二月三日取締役の過半数たる六名の出席による取締役会においてその一致でなされたものである(甲第二号証の一三)から、その決議には手続上の違法がなく、したがつて、本件新株の発行に関する取締役会の決議に成立上の瑕疵があるとする主張も結局理由なきに帰する。
しかし、問題は、取締役会において新株引受権を第三者に付与しうるかどうかである。この問題は本件における法律適用の問題であり被告らの責任に直接関係するから、次に、この点につき検討を加える。
上にみたとおり、帝国光学の発足に際し、関係者間で被告鈴木に対し資本金四〇、〇〇〇、〇〇〇円に達するまでその株式の半数につき引受権を与える旨取りきめ、その発足後株主総会において全株主の同意によりこれを承認した。しかし、かかる取りきめが何らの効力を生じないことはもちろん、株主総会において将来発行すべき新株につきその引受権を特定の者に付与すべき旨の決議も、本来総会がかかる決議をなしうべき権限を有するかの問題を措いても、前記改正前の商法第一六六条第一項第五号に違反しその効力を認めえないものである。新株の発行にあたり取締役会が第三者に対し新株引受権を与える旨の決議をなしえないことも、もとより当然であるといわなければならない。
しかし、取締役会がかかる決議をし、これにもとづき新株が発行された場合に、取締役が株主に対し損害賠償の責を負うかは、本件においては別途これを考察することを要するものと思料する。
思うに、個人企業に比すべき個人会社においては、会社支配の確保、資金の導入等の関係から、会社の設立にあたり設立者間で将来の新株(新株引受権)の帰属関係を取りきめ、株主総会において全株主同意の下にその取りきめを確認するということは、十分に考えられることであつて、その必要性においてはこれを諒察するに難くない。法律上かかる場合にはあらかじめ定款でその旨定めおくべきであるという論は正論であるが、個人会社がかかる手続を踏んでおかなかつたことをもつて、あながちこれを責めることはできない。個人企業に比すべき個人会社においては経営者の法律的素養も十分でない場合が多く、全株主の同意さえうればすべてこと足りると安易に考えることも無理からぬことだからである。帝国光学は前述のごとくその発足当時の株主を二人とする個人会社であり(したがつて他は名義株主と思えないことはない)、その実質上の支配者たる被告鈴木作太は技術者にすぎないから、会社の発足にあたり関係者間で四〇、〇〇〇、〇〇〇円の資本額に達するまで新株引受権の半数を同被告に付与すべき旨の取りきめをし、会社発足後株主総会において全株主の同意をもつてその承認をえただけで、さらにこれを定款に記載しおくべきことに思いいたらなかつたとしても、これをもつてただちに非難に値するとはいい難い。株主総会において全株主の同意がある以上定款変更のことは易々たるものであつて、かかる措置に出なかつたのはたんなる手続上の過誤にすぎないとも認めうるものであり(記載すべき定款は原始定款でなければならないかにつき議論があるが、当裁判所はこれを消極に解する。なお、定款に規定がないため、これを信じて株式を取得した者が損害を受けることのあることは別問題である)、その実質においては定款の変更があつたものともいえないことはないのである。ところで、取締役会が本件の新株引受権を被告鈴木作太に付与したのは(ほか七名に付与したのも結局同被告に付与したと同一に帰することは、上に述べたとおりである)、一面において帝国光学発足の際の取りきめおよびこれにもとづく株主総会の全株主の一致による決議に従つたものであつて、その決議が実質的に明らかに不当といえない以上株主総会の下位機関である取締役会としてはこれに従うこともあながち無理からぬものといわなければならない。のみならず、帝国光学はその発足以来業績が振わず、事業資金入手の必要上新株発行の都度新たな融資先を求めこれに一括してその新株を引き受けさせているのであつて、原告が株式を取得したのもこの方法によつたものにほかならず、その取得自体前記改正前の商法第一六六条第一項第五号に違反するものである。このように、自ら違法な手続により株式を取得した原告が、同様の方法によりなされた本件新株の発行によりその新株引受権を侵害されたと主張することは当をえない。いわんや、上記のとおり本件新株の発行方法は帝国光学の資金獲得のためやむをえない方法であると認められるにおいておやである。
以上によつて、本件の新株発行は、当時の取締役会を構成した被告松尾菊太郎を除く被告らの原告に対する帰責事由となすをえないと解する。
三、さらに、原告は本件の新株発行によりその株主権を侵害されたと主張する。
しかし、前項説明のごとく本件の新株発行につき被告松尾菊太郎を除く被告らに責任がない以上、その発行により仮りに原告の株式の価額が低落したとしても、これを理由としてその株主権を侵害されたということはできない。けだし、適法な新株の発行により旧株価が影響を受けるのはやむをえないことであり、本件の新株の発行が結局適法に帰すると異らないことは、前項説明のとおりだからである。
四、被告松尾菊太郎を除く被告らに本件新株発行による責任がない以上、その存在を前提とする原告の帝国光学ひいてその破産管財人たる被告松尾菊太郎に対する請求も理由がない。
五、よつて、原告の本訴請求はその余の判断を待つまでもなく失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第八部
裁判長裁判官 長谷部 茂 吉
裁判官 白 川 芳 澄
裁判官玉置久弥は転任につき署名捺印することができない。
裁判長裁判官 長谷部 茂 吉